【講演会1】小林正観さん−説法者の最後の姿−

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    今から7年前の平成23年9月9日(金)、全国各地で年間300回以上も開催されているという小林正観さんの講演会が、震災後でまだ間もない福島でも開催されるということで、私としては初めてとなるが、その講演会に参加した。

     

    受付前に行くと、多数の正観さんグッズが並べられて行列ができており、参加者のおよそ7〜8割方は女性層だった。

     

    いよいよ開演時間となり、初の正観さんとご対面である。会場が拍手に包まれて登場した正観さんは、体は細く、杖をついておられ、糖尿病の症状がひどく、両目の視野にもかなり影響が出ているのだという。そのような状態でも講演をキャンセルすることをせず、私たちの前に姿を見せていただいた。ここまでの信念を持って臨まれるその姿からは、人生論者の覚悟ともとれる威厳を感じることができた。

     

    ◎正観流人生論から学びを得る
    私がとても印象に残っているのは、その穏やかな口調である。目の前の参加者1人1人をやさしく諭すかのように、1番後列に座っていた私のところにも一語一語がまるでやわらかな風となって自然と耳に届いて来たことだ。

     

    そして参加者全員が、正観流独特の「説法」を聴くその姿からは、人生とは何なのかという答えを少しでも得ようと、学ぶためにここに来た、導かれてここに来たのだと、そんな言葉があてはまるかのようだった。

     

    そうかと思いきや、静まり返った空気を一変させるかのように、会場の皆を大笑いさせるギャグを節々に連発する巧みな話術。ユーモアセンスも抜群なのだ。ここまで人を惹きつける魅力があったとは思わなかった。人間として一皮向けた気分にもなれた。そして、人生論者の教えをしっかりと心で実感した特別な1日だった。

     

    それから……福島講演の約1ヶ月後の10月12日、正観さんはお亡くなりになられた。62歳だった。

     

    最初で最後の出会い、出会うべくして出会えた縁、そして自分の人生の中でも、大きな学びの機会でもあったあの日に、改めて感謝したい。

     

     

    【補足】

    前回の記事で、現代のシャーマンと呼ばれている「神人」さんの講演会に参加した様子(その記事はこちら)を掲載したのを機に、私が過去に参加したことがある著名人の講演会の様子を『不思議体験記』にも掲載しておりましたので、講演会シリーズとしてそこからの転載記事をアップしていこうと思います。

     

    今回は、小林正観さんの講演会を聴講した時の内容です。

    今から7年前に行われた正観さんの講演会よりも、つい先日行われた神人さんの記事を先にアップしたため、日付的に掲載順が逆になってしまいましたが、やはり年代順として先に聴講した正観さんの講演会を【講演会1】としてタイトル番号を付けることにいたしました。神人さんのタイトル番号は後ほど追記いたします)

     

    今思えば、あの日に参加しなければ、今後二度と正観さんとお会いすることはできなかった、という心に残る日となりました。

     

    実は、かねてより正観さんが体調を崩されていることは知っていましたが、それでも病院に行かず、治療に専念することもせずに、全国各地で講演会を開催しているという姿を見て、自らの信念を貫くその活動に素晴らしさを感じるものの、しかしそれ以上に体の方が心配であるという思いが私としては強かったと言えます。

     

    講演会当日、正観さんがおっしゃっていたのは、全国各地で講演会をするたびに、その関係者の方々からお茶やお菓子、おまんじゅうなどのおもてなしをいただくそうですが、そこで出されたそれらの茶菓子類を残さずに全部召し上がるそうです。今まで、ほとんど残したことはないそうです。

     

    えっ、毎回って、年間数百回も行われる講演会のたびに、それを残さずに全部いただく…?それを聞いて、「えー?ほんとですかそれ!」と思ったほど驚きました。おそらく、会場にいた大勢の皆さんも、ある意味で絶句していたのではないかと思います(笑)。

     

    その信念の内には、「目の前で起こった出来事を、全てそのまま受け入れる」ということがあるそうです。

     

    自分の目の前に、そして自分の身に、様々なことが起こるのならば、それは自分の人生としてそのようになっていることなのだから、その全てを受け入れればいい、ということだそうです。

     

    そこから考えると、病気になれば普通は病院で治療することが当たり前なことですが、正観流の概念からすると「病気ということすらも、自分の身に起きていることなので、拒否することも排除することもなく、それをそのまま受け入れればいい」という解釈につながります。

     

    「い、いや、正観さん、それとこれとは話が違うのではないでしょうか?

     ちょっとしたカゼぐらいならば、わざわざ病院へ行かなくとも市販薬を

     飲んで2〜3日寝てれば治るでしょうが、しかし糖尿病などの重い病

     は、やっぱり病院での治療が必要だと思いますが…」

     

    となりますが、しかし人生論者が達した境地としては、そのような常人が考える思想の域には、もはや足を留めてはいないのでしょう。

     

    「もう、そこにはいない」のです。

     

    目の前の出来事を受け入れるから、出されたおまんじゅうなども全てありがたく頂戴する。その結果、甘いものを多く摂りすぎたことなどが1つの原因となって糖尿病を引き起こしたとしても、今度はその病気という現実を自分の中に受け入れる。そこに何も悔やむことをせず、その人生を受け入れながら淡々と生きていく…。

     

    それを自分が体現することに真の意味があり、そしてそれを世の人々へ示していくことが「本髄」であると言えるのでしょう。

     

    その本髄から、多くの方々が生きるヒントを見出されたことと思いますし、たとえどのような教えからでも、それを自分でどう生かすかということもまた、それぞれに応じた活用の仕方であろうと思います。

     

    あの講演会から7年という歳月が過ぎましたが、振り返ってみると私自身も正観流人生論の中からたくさんの気づきを得ることができました。本当にありがとうございました。

     


    記事をお読みいただきありがとうございます
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